加納宿➡高田
天下分け目の関ケ原の合戦に勝利した徳川家康は、大坂城の豊臣氏に対するため、合戦直後、加納に城を築きます。その場所は戦国時代の館の跡地で、東・南は荒田川、北は清水川に囲まれた場所でした。さらに西には長刀堀を掘り、四方を川と堀で囲まれた、水に浮かぶ城を造り上げました。
初代藩主には長女亀姫の婿である奥平信昌を任じ、10万石を与えました。その後奥平氏3代、大久保氏1代、松平(戸田)氏3代、安藤氏3代、永井氏6代といずれも譜代大名が城主となり、明治を迎えます。明治5年から6年にかけて、場内の建物は取り壊されてしまい、その後堀も埋められてしまいましたが、本丸周辺や二の丸の北側など石垣が残り、当時の姿を偲ぶことができます。
城の北には中山道や名古屋と岐阜町を結ぶ尾張(岐阜)街道が通っていました。尾張街道は、岐阜町で作られた鮎のなれ鮨を将軍に献上するため運ばれた道であることから、別名御鮨街道ともいわれています。
城下町は城の北側と西側に建設されました。中山道沿いには町屋が建ち並んで宿場町(加納宿)を形成し、家臣の屋敷が建つ城下町と一体化していました。家臣の屋敷は、近い所には重臣が、町の外れには下層の足軽・中間が家を構え、町の北西部と南西部に寺社が密集して建てられました。
(加納城下町地図より)
加納宿の中心、加納天満宮の南から東に向かって、高田を目指します。
加納天満宮南から東に
脇本陣跡


西問屋跡
本陣跡


当分本陣跡
旧加納町役場


加納城





大手門跡から北へ
高札場跡
道標


道標を東へ
専福寺
善徳寺


東番所跡
国道を渡る
道標
道標を南へ
力士「鏡岩」の碑
道標
道標を東へ
名鉄茶所駅の横を道なりに
秋葉社
上川手バス停
八幡宮


分岐点
細畑一里塚


国道22号線渡る
誓賢寺
真宗寺


恵比寿神社
道路渡る
伊豆神社


切通陣屋
浄慶寺


手力神社鳥居
高田の西入口

